1991-03-26 第120回国会 参議院 内閣委員会 第3号
これは、再三申し上げて大変恐縮でございますけれども、大変お気の毒な、女性の身でありながら戦地におきまして戦時衛生勤務に従事し、その後さらに徴用あるいは留用されまして長い間外地において苦労をされた、この労苦に対しまして制度的に救済できるものがなかったがためにこの制度をもって、予算措置をもって対応しよう、これが特例であるというふうに私どもは理解しておるわけでございます。
これは、再三申し上げて大変恐縮でございますけれども、大変お気の毒な、女性の身でありながら戦地におきまして戦時衛生勤務に従事し、その後さらに徴用あるいは留用されまして長い間外地において苦労をされた、この労苦に対しまして制度的に救済できるものがなかったがためにこの制度をもって、予算措置をもって対応しよう、これが特例であるというふうに私どもは理解しておるわけでございます。
そこで、今抑留期間が恩給の年限計算の基礎に入っているんだから除外したんだということなんですが、これが国家補償の別の制度ならばそういう説明でいいと思うんですけれども、これは要するに長い間外地で抑留されて強制労働に服されて御苦労さんでしたという、法律にも書いてある「慰藉の念」をあらわすためのものなんだから、これは恩給に入っていようといまいと性格が別なんだから関係ないことじゃないかと思うし、恩給受給者も対象
○政府委員(菅野弘夫君) いま言われましたのは、恐らく従軍看護婦として行かれた数の総数ではなくて、長い間外地に抑留をされた方等の中で、それを文官的なみなし方をすれば該当されるというふうな数字ではないかと思いますが、そういう数字も私たちも拝見をいたしております。
こういう長い間外地で苦労されて、ようやくなつかしい故国へ帰ってきたけれども、どっちを向いても言葉も通じないという子供たちにいち早く国が抱き上げるようにして、日本語の指導から、あるいは学齢期であるならばなるべく早い機会にそれぞれの日本の学校に、いま木田局長が言われたように、日本のすべての学校に日本語教育をする一つの機関があって、そこへ入ってきて、ちょっと無理だと思えば、そこでもってしばらく、半年くらいは
きまっても、長い間外地におって、それこそ国籍が日本にありませんから、帰って親戚その他に身を寄せるにしても、たいへんな気苦労があると思います。特に第二番目として、子供は日本語なんか生まれたときから全然覚えておりませんので、この教育が必要なことを非常に痛感されております。
その意味において、二十年近い間、外地でたいへんお働きになっていらっしゃるあなたさんや、その会社の皆さんに心から敬意を表したいと思います。 そこで、私がこの二十年来の日本の石油事情をながめてみまするに、諸外国と比べてたいへんな、きわだって珍しい特徴があると思います。 その第一は、日本には国産が一つもないといっていいほど、九九%外国だよりであるということなんです。
といいますか、燃えやすくない物を使う、たとえばふとんにいたしましても、カーテンにいたしましても、あるいはこの辺に張ってあります板にいたしましても、火が出ても、もういち早く煙になって、わあっとなってこないような状態をつくってくだされば、われわれ看護婦も患者の誘導が十分できるわけですが、煙が一度に出て、一度に火が出てきますと、ほんとうにもうどうにもできないし、私は、火事にあったことはありませんが、長い間外地
在外財産のほうは、長い間外地にあって、その財産そのものでなくて、財産によって生まれてきたヒューマンリレーション、あるいは生活利益という特殊なケースというものが審議会の答申に盛られておったわけでございますから、これを中心として政策措置をとったわけでございます。
これは長い間外地にいて、着の身着のままで、しかも、あの「人間の条件」という映画を見たら、大臣も当時の悲惨な引揚者の状況というものはよくわかると思うが、そういう苦労をして帰ってきた人たちに、当座の生活補給みたいな意味で慰労金を出そう、こういう意味からあの給付金は出されたと私は認識しておる。もしそれが間違いならば、後日議事録を持ってきてここで読んでもけっこうです。補償とは言っていません。
そういう人が再び発病した場合には、これはやはりすっかりなおっておらないのが帰ってきて、仕事で無理をしたためにまた出たのだ、こういうふうな解釈をするのが当然であり、また長い間外地で働いてきた人の労苦に報いる道ではないか。それを判定に困難だというので遷延、一年も二年もほうっておく。
ということは、この問題は、この前も申し上げましたように、未帰還者が帰還いたした場合に、舞鶴で留守家族援護法の支給金を打ち切られるのでありますが、これははなはだ残酷でありまして、長い間外地におりまして全く日本の事情に精通しないこれらの人々が、帰りまして突然支給金を打ち切られるということになったのでは、就職その他の問題で非常に困窮いたす。
それは、過般引き揚げて参られました、長い間外地で御苦労なされた方々は、年令の関係、あるいは手に職がなかったり、いろいろな御事情もあろうかと存じまするけれども、この前に援護局からお示しになった就職率というのは、よく調べてみますると、日雇い労働者等もその数に入っておったか、七割以上という時代がございましたが、過般私労働省でその数字を明らかに出してもらいましたところが、五割七分くらいなところが一番いい率のようでございます
引揚者が長い間外地で苦労してやつと祖国に帰つて来ます。その中には、海外におる間に学業半ばにして、ようやく自分の国に帰つて来て、学力の低下などをくやみながらも、喜び勇んで、内地の学校に入つて一生懸命やる希望に燃えている子弟がおると思います。またそれに対する親の期待も大きいのであります。そういう関係からいたしましてでしよう。
またこの制度をつくりました根本は、やはりそういつたお帰りになつてからのいろいろの生活ということもありますが、やはりその前に長い間外地に抑留されて、あるいは自分の意思によらずして帰れなかつたという方々に対する国の一つの気持を表わすその金でございます。
○玉置(信)委員 長い間外地にとどまつて精神的、物質的に多大な苦労をされてお引揚げになりました皆さんに対しまして、私ども国民の一人として、留守家族の皆さんとともに心配をいたしておつたわけでありますが、本日こうして元気な姿を目の前に見せていただきまして、まことに嬉しく存じます。
○証人(高橋正吉君) それは正義というのが本当でありまして、長い間外地からもう義という字を使つておりましたものですから、そのまま通称的に使つておりました。それから常浩というのは、こういうふうな事件が起きまして、姓名判断に見てもらいましたら、非常によくないことだということからして、仮称的に、悪意も何もなく、ただよくなるようにということで使つておる、だけであります。
実は私の方で国民的援護ということが必要である、政府の手の及ばないところは隣近所で長年の間外地で苦労された方にお手伝いしてお報いすることが大切であるというので、昨年そういつた仕事を計画したのでありまして、地元あつせん縁故あつせんということをわれわれ極力主張したのでありますが、やはりそういう職業安定機関の権限の問題に触れますので、そこは地元において適当にあつせんすることにして御了承を得まして、各方面に督励
われわれ國民の同胞である在外同胞が終戰とともに内地に引揚げて、その在外同胞の多くは、永年の間外地に在つて粒々辛苦の上、ある一定の財産、資産を持つておつたのにかかわらず、終戰とともに着のみ着のままで引揚げて、その上に、政府は未だこれら同胞に対して何らの補償すらしておらないではありませんか。
長い間外地におつて、あらゆる地盤を失い、そして何らの物質的に依存するものもないという現況に鑑みて、そういうような五百円のわくを撤廃する意思を逓信当局でおもちになるか、また大藏当局として今どういうような構想をもつておられるかということを承りたいと思います。
これから歸つて來る者は、終戰後長い間外地で苦勞して、體がまいつておるという特殊な復員者になると思うのです。これに對して從來の復員者とは違つた特別な援護方針を持つていられるか、或いは引揚者なみに援護される方針か、このところを伺いたいと思います。